友永詔三(ともなが あきみつ)
造型作家。1944年(昭和19年)生まれ。高知県高岡郡出身。23歳の時にオーストラリアの人形劇団のオーディションに合格、入社間もない舞台美術の会社を辞めて単身渡豪。現地で人形製作の経験を重ねた後帰国し、本格的に作家活動を開始。以来、NHKの連続人形劇『プリンプリン物語』に代表される人形美術や、舞台美術・木版画、木彫、ブロンズ等の作品での個展などを数多く手がけ、現在も少女をモチーフとした作品を多数製作し、活躍中。現在、了徳寺大学芸術学部非常勤講師(人形アート)、朝日カルチャーセンター講師(友永詔三の木彫アート)。


人形を作るきっかけ

安居 友永さんは、若い頃に単身オーストラリアに渡られたそうですが?

友永 1968年にオーストラリアに渡って、1970年に帰国しました。元々は舞台美術がやりたくてデザインの勉強をして、当時は舞台美術の会社にいたんですが、知り合いの紹介で向こうのキャラクターデザイン募集に応募したら通りまして。そのキャラクターで映画を作りたいから来て欲しいというオファーがあったので、行く事にしたんです。実は、それではじめて人形を作るようになったという……。現地でロシア人のイゴール・ヒチカって人と出会いましてね。当時はマリオネット……上から操るタイプのものをやっていたんですけど。その方と大阪万博のオーストラリア館で出品する催しもの、人形劇も一緒につくったんですね。それが終わってから帰国しました。

安居 帰国後は?

友永 デザイン学校で講師をやっていて、画商さんと知り合ったことから、画廊の仕事や展覧会を主にやっていました。たまたま見に来てくれた舞台演出家の方(※注:清水浩二氏)が、当時寺山修司さんや、教育評論家の阿部進さんとかのお仲間で、ある時「『真夏の夜の夢』っていう芝居をパルコでやるんで、人形をやってくれないか?」って誘われたんです。そんな事をしているうちに、NHKさんのお話が……。林泉寺って東京・茗荷谷のお寺があるんですけど、そこで役者と人形を使った芝居をやった時に、たまたま観に来ていたNHKの方がいて、「オーディションを受けてみないか」って言ってくれたんです。で、やることになったのが『プリンプリン物語』。しかし、きっかけになったその芝居も、ヌードが出てくるようなものだったんで、周りの人たちも「なんで?」って思ったみたい。なんせ子供向けの番組ですからね(笑)。

安居 オーディションは、どんなカタチで行われたんですか?

友永 ストーリーを渡されて、登場する何人かのキャラクターの絵を描くんです。

安居 絵を審査されるんですか?

友永 実際に仕事する際も「絵」ですよ。だから『プリンプリン物語』のキャラクターも、全部原画があるんです。500枚くらいかな。衣装デザインから何から……。人形美術ってデザインすればよいわけで、人形は別に誰かに発注して作ってもよかったんですよ。僕は自分で作りましたけどね。ただ、衣装は作れないんで別の方々にお願いしました。僕は、以前画廊の仕事をしている時に、こういう球体関節が入って自在に動く人形を、作品として作っていたんですよ。だからそれを人形劇用にアレンジしたのが、『プリンプリン物語』に登場する人形たちなんですね。普段は裸を主に作っていたもんですから、なるべく露出の多い──衣装部分の少ないものにしようと思って(笑)。そしたら番組が始まって2ヶ月後くらいかな、「プリンプリン」の胸の部分の露出が多過ぎるっていう投書が大手新聞に載ったんですよ。子供番組なのにけしからん、とね(笑)。でも、ディレクターに面白い人がいて、彼の裁量で比較的自由に作れるエンドタイトルのところで、お風呂のシーンを作りましてね。それ以来、そういう投書はなくなったという(笑)。

安居 実はこれ(と持参した『プリンプリン物語』の本を出す)、大人になってから買ったものなんですけど……。僕が今36歳で、丁度小学生の時に『プリンプリン物語』を見ていた世代なんですよ。

友永 あぁー(一緒にパラパラと本をめくる)……。僕も当時テレビのお仕事ってはじめてだったんですよね。だからよくわからなかったんですけど、ただ、自由にやらしてくれたんで、好き勝手にキャラクターを作れたんです(笑)。最初インドの「ラーマヤナ」って物語が下地になっているということで、始まる前の年に、インドに行ってくれっていわれてひとりでインドに行ったんですよ。で向こうで取材して、衣装になる生地とかもインドで買って来たんですよね。


革新的だった『プリンプリン物語』

安居
 当時僕らが小学3、4年だったと思いますけど、それまでやっていたNHK歴史物の人形劇は、なんだか難しくって取っ付きにくかったんですけど、友永さんが人形美術を手がけられた『プリンプリン物語』は、そうじゃないアプローチというか、自由な雰囲気や、きらびやかな衣装で始まったんで、“今までと違うもの=新しいもの”が始まったって感じで、夢中になって観てたんです。声優さんのセリフだとか、動きだとかもコミカルでしたけど、よくよく見るとものすごく造形がきれいで、子供心に「これは普通のものと違うぞ」って感じで。今でこそ再放送とかDVDとかで見る事は出来ますけど、20代の頃まではなかなか確認する術がなくて、たまたま古本市でこの本(※前出)をみつけて、写真で見たんですが、「あー、やっぱりこんなに美しかったんや!」ってあらためて思ったりして。

友永 東京とか大阪、京都など都市圏の方々は、自分で選んで芝居を自由にみることができるじゃないですか。僕は高知の山奥で育ったもんですから、自分で選んでみれなかったんですよ。田舎には一流の役者さんもなかなか来てくれなかったですからね。だから、『プリンプリン物語』を手がける際に思ったのが、全国放送でそういう地方の人たちも見てくれる番組なんだから、なるべく本物──予算内で使えるいいものを使おうということでした。衣装も、同じ色を使うのでも、絹とそうでない化繊とでは、やっぱり違うわけです、発色とかが。あと、当時アシスタントをやってくれた女の子が8人いたんですけど、全員人形劇とは関係ない、美術大学を出た人たちなんですよ。みんな衣装なんて作った事ないし、人形劇も全くわからないんですね。でもそれがよかったと思ってるんです。結局女の子達も、自分たちがこういう衣装を着たいとか、そういう感覚で衣装を作ってくれたんですね。子供番組なんですけど、僕自身も自分のガールフレンドや友達に、こういうイヤリングをつけさせたらいいだろうな、こーいう着物を着せたいなとか、そーいう感覚でデザインしてましたし。僕は、当時からラフな格好だったんですけど、人形の衣装には結構なお金をかけたこともあります。そーいうのが許された時代でもあったんですけどね(笑)。

安居 今日こちらに伺って、はじめて実物を拝見して、ほんとに撮影用に作った小道具とかそーいうことではなくて、ひとつの作品としてものすごいオーラが出てるんで、「わっ、すげーっ!」ておもったんですけど。

友永 画面では見えない所まで、ちゃんと作ってあるんです。普段置いてあってもちゃんと作品として成立するように……。とにかく自分が出来る中で最高のものをやりたかったんですね。当時は「人形劇」って普通の芝居に比べたら一段下、みたいな見方をされてた訳ですよ。でも、人形劇って美術的にいろんな要素が入ってこないと……たとえば絵も、彫刻も、実にいろんな事を理解していないとできないんですね。それまでは、児童文学であるとか、あるいはイデオロギーを含んだものとか、そういう題材でやってこられた方も多かったし。僕は、そういう事もなかったし、かなり自由にやらしていただきましたね。


紙と木

安居 大きな作品はトイレットペーパーで作られるそうですが?

友永 トイレットペーパーに木工用ボンドを混ぜて粘土状にして、それを芯に貼付けて行くんです。固まるとものすごく強くなるんですよ。戦国時代の足軽の鎧だって、紙でできてるじゃないですか。

安居 え、そうなんですか!

友永 昔、地方の美術館で見た鎧がそんな感じで、それがなんとなく頭に残っていたんで、『プリンプリン物語』の時も、「ルチ将軍」のデカい頭なんかは、紙で作ったんです。

安居 具体的にはどうやって作るんですか?

友永 芯になるのは、紙でも発泡スチロールでも、なんでもいいんですけど、さっき言ったトイレットペーパーの粘土を貼り付けて行くんですね。乾くのにちょっと時間はかかるんですけど……。だからそこ(アトリエ)に飾ってある作品も紙(トイレットペーパー)製ですよ。中には木が入っていたりします。あとで鋳造する際にカットしなきゃいけないんで、金属は入れられないんですね。木のまわりに藁(わら)を巻き付けて行って、それから先ほど言ったようなトイレットペーパーの粘土で作っていくんですよ。出来上がれば軽いし、カットも自由にできるし、鋳造が終わった後にも、また使えるわけですよ、木工用ボンドでくっつければいいんだから(笑)。『プリンプリン物語』の魔女も同じようにして作りましたよ。大きいキャラクターは、木では重いからね。もちろん可動用の“からくり”を入れるために、木製のものであってもくり抜いてはあるんですけどね。テレビとか舞台の仕事では、材料にこだわらず何でも使いましたね。


楽しんで作る

友永 僕は、以前マリオネットはやっていましたけど、「プリンプリン」のような棒使い人形ってのは、あの時がはじめてだったんです。だから、からくりも全部自分で考えてね。顔や目、耳が動いたり……全部自己流なんですよ。3年間で、500体くらい作りましたかね。多い時で1週間に20体くらい作った事もありますから。「ルチ将軍」が人気あったんですけど、彼の率いる兵隊が登場する回のためにそのくらい作りました。素材が木だからできたんです。まー、ある意味僕が彫れば終わりですから。これが粘土だと、カタチ作って型とって、乾かして……となるので、時間がかかる。木なら、顔だけだと彫り始めて2時間でできたりするわけです。

安居 友永さんが比較的短時間で作れるっていうのは、気持ちのスピードと造形のスピードが近い方が気持ちがいいということですか? 実は僕がいつも仕事しながら感じてることなんですけど……。

友永 僕は、モノを作るときにあんまり大袈裟に考えないもんですから……普通に遊んでる感じですね(笑)。気分がいい時と、そうでない時はありますけど、やっぱり締め切りはありますから。寝ないで仕上げなきゃいけないこともありましたけど、3年間やらしてもらって、仕事は早くなりましたね。それまでも他の人よりは早い方だったんですけどね。

安居 僕が普段やってる仕事ってのは、ものすごく時間をかけてやっていまして、いわばマラソンみたいな感覚で作ってるんですね。それに対してカミロボっていうのは、“立体の落書き” って思ってまして、1体作るのに大体3時間くらいかけるんですけど。それは落書きをしているように気持ちがいいので、楽しくてたくさん作る事になったわけなんですけど。

友永 だからね、普段安居さんがお仕事でやられている造型っていうのは、人の考えたデザインがあって、それを作るわけでしょ? でも、カミロボの場合は、デザインがオリジナルですよね。僕も人のデザインしたものは作らないんですね。極端な話、「プリンプリン」をもう一回作ってくださいって言われると、やっぱり時間がかかるんですよ(笑)。新しいものだと、自由にできますからね。だから、カミロボも自分のものだから早くできるんじゃないですかね?そもそもオリジナルのものって楽しめるじゃないですか。僕は、やっぱり自分が楽しくなければ、絶対ダメだと思うんですよ。モノを作るってなんかこう、しかめっ面をしながらやるようなイメージがあるけど、楽しく、女の人の話なんかをしながらやれるぐらいじゃないと、ダメだと思うんですよね(笑)。だから、僕は女好きだって言われてて、アシスタントも絶対女性しか使わなかったんですけどね。だって、女の子に囲まれていると、楽しく作れますから(笑)。自分が楽しんで作れる状態を作るっていうかね。カミロボもきっとそうじゃないかと思いますよ。自分が楽しんで作ったものっていうのは、見てくれる人も楽しんでくれるんじゃないかって思いますね。

(対談実施日 2007年11月14日)