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Kami-Robo©2003-2014 Tomohiro Yasui / butterfly・stroke inc. All rights Reserved.
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Kami-Robo
世界は再構築されていった

「さも試合をしているような写真を撮る事」は、
カミロボ界に於ける八百長問題とでも言っていいほどの
大きな事件でした。

これはもう、本当にバカみたいな話なんだけど、
当時の僕は「悪いなぁ、こんな事をさせてしまって…」と
心の中でカミロボたちに謝りながらポーズを付けたものです。

しかし、カミロボの中でも、そういった状況をスマートに理解して
順応する選手も多数現れました。

「ヤラセ写真」の状況に放り込んでも傷つく事なく、
むしろ楽しんでいるようにも見受けられる選手が
カミロボ界に一定数存在している事に気がついた、
という感じでしょうか。

彼らにその場を任せると
不思議と後ろめたい気持ちにならないので、
僕自身がその状況に順応していけるように感じました。

そういったメンバーが集まって設立されたのが
エンターテインメント系の団体である「マックスリーグ」であり、
「ナイトコブラジム」です。

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Kami-Robo
空想と現実、脳内世界とコミュニケーション

カミロボに興味をもって下さった人が、
その内容を紹介するにあたって
カミロボが戦っているような写真が撮りたい、という気持ちになる事は
当たり前の事で、とても自然な感情です。

それは十分理解できているのだけど、
紙ロボットに命が宿っているという感覚は尊重してもらいたい…

今こうして、「戦っているようなパフォーマンスをしてくれている」のは、
カミロボの中でも「戦いを演じる事に寛容な、
サービス精神の旺盛なレスラー」なのです。

だからすいません、我々サイドとしては
そういう方向性に長けた選手で対応させていただきますので、
マドロネックサンに関してはご勘弁下さい。

マドロネックサンにもそのような事をするようにお願いするのは
僕からはちょっと無理なんです。

…でもこんな事言い出したら、メチャクチャ気持ち悪いだろうなぁ…
完全に「痛いヤツ」なんだろうなぁ…

でも… 小説家でもマンガ家でも、
同じようなことを言っているのになぁ…

でも、周りに迷惑はかけたくないしなぁ…

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Kami-Robo
世界は二極化した

…と、「現実世界」でそんなことを繰り返すうちに、
「空想世界」のカミロボ界が大きく二極化していったのでした。

一方は、「積極的に他者とのコミュニケーションを図るグループ」。

そしてもう一方が、
「従来通りの自分たちの考え方を変えない保守的グループ」。

前者がマックスリーグ系カミロボで、
後者がマドロネック系カミロボ、という事になります。

そういう経緯を経て、
キャラクタービジネスやイベントではマックスリーグ系カミロボが、
展覧会などではマドロネック系カミロボが
それぞれ前面に出る、
という構造が徐々に出来上がっていったのでした。

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Kami-Robo
暴露本ブーム

カミロボ界の「聖なる一回性」が揺らいでいたちょうど頃、
実際のプロレス界に目を移すと、
当時は暴露本のブームが起きた時期でした。

プロレス界の内幕を赤裸々に公開した暴露本は
あちこちから多数出版され、ネット時代の情報拡散も相まって、
徐々にファンは「プロレスとは筋書きのあるショーである」という事を
前提としてプロレスを楽しむようになっていきました。

プロレスが筋書きのあるショーだって事は
戦後、プロレス興行が始まった時代からずっと言われてきた事だったし、
日本で暴露本ブームが起きる前には
すでにアメリカでカミングアウトされていたから、
暴露本が出た事自体は
天地がひっくり返るほどショッキングな事ではなかったのだけど、
複数の本の中であそこまで全て何もかも赤裸々に書かれてしまうと
さすがに雑音として処理できないと言うか、
業界やファン全体が「もう元には戻れない」感は強くあったと思います。

子供の頃にファンタジーを信じるところから始まって
それでもプロレスを見続けていた世代は、ここを明らかな分岐点として
その心の持ち様を変化させていかなくてはならなくなったし、
これにて一つの時代が終了、という感覚はありました。

事実を知った後の「照れ」の感覚は、
サンタクロースを信じるとか信じないとかの過渡期にある子供の心情と
近いかもしれませんね。

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Kami-Robo
プロレスの魅力

ここで、プロレスに興味の無い方は
「事前に勝敗が決まっているショー」だと暴露された後も
なぜファンたちはそれでもプロレスを見続けるのか、
なぜプロレスは消滅しないのか、不思議に感じられると思います。

そこで、まことに僭越ではございますが(笑)
私が、プロレスの魅力を語る上で重要だと思われる言葉を
いくつか紹介させていただこうと思います。

「聖なる一回性」
これは先程からたびたび書いている言葉ですね。
もともとはフォークシンガーの北山修氏の言葉だそうです。
繰り返されないもの、その場限りで消えてゆくものだけが持つ力。その魅力。

「虚実の皮膜」
事実と虚構との境目に、芸術の真実があるとする論。
江戸時代に近松門左衛門が唱えた芸術論です。
「虚」から浮かび上がる「実」。「実」の中に潜む「虚」。 世の中、複雑です。

「プロレスは、底が丸見えの底なし沼」
週刊ファイト元編集長、井上義啓氏のあまりにも有名な言葉。
とても抽象的な言葉だけど、これ以上の言葉はない、と思います。

「聖なる一回性」も「虚実の皮膜」も、
前提として、大勢の観客が作る「場の空気」が無いと成立しないので、
なによりもまずは観客の存在が重要だと言えるでしょうね。
「観客論」という言葉もありますし、演劇に近い要素もあるのでしようが、
「(プロレスは)他に比類なきジャンル」という言葉もあり、
とにかく単純に他の何かと比べられない独自の存在である事は確かですね…

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Kami-Robo
青い思い出

僕がプロレスの内幕についてリアルに知ってしまったのは
二十代前半の頃でした。

当時の僕はプロレスマスクの仕事に携わっていたので、
仕事の中でプロレスの内幕を知る、という、
ちょっと特殊な経験をしました。

その時の印象としては「あぁ、やっぱりな」という感じだったのですが、
その反面、あまりにも身も蓋もない事実を知ってしまったショックは
正直ありました。

頭の中では分かっていても、
さすがに段取りを打ち合わせている場面なんかを見てしまった時は
これはえらいモンを見てしまったな、と感じました。

でもね、プロレスファンなら誰しも心の中では分かっていたのです。

プロレスを長く見ていると「どう考えても怪しい」とか、
「さすがにそれは無いだろう」とか
「あぁ、今回はそのパターンか」という場面ばかりなのです。

真剣に見ていればいるほど、いろんなモノが見えてしまうのです。

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プロレスの勝敗

二十代前半の頃までは、プロレスの試合は
アドリブで演奏される音楽のセッションのようなものなのかな、って
思っていました。

だから、お互いに基本のリズムとか、
コード進行のようなものを理解していれば、
アドリブでどんどん進んでいけると言うか…。

そうやって、ある程度の攻防を構築した後、
肉体的な疲れやダメージの蓄積がピークに達した時に、
総合得点としてどちらが勝っているか、
今日のオレは完全に勝ったな、とか、
これはヤツの勝ちを認めるしかないな、とか、
勝ちたい気持ちがあるのに気迫にやられてしまって
気がついたら負けてしまっていた、とか、
何かそういう、表現者としての力量を推し量る感覚と言うのかな、

お笑い芸人とかでも「今日のアイツには負けた」とか、
「今日は完全にオレの勝ちだったな」とか、
そういう感覚があると思うのだけど、
そういう事で勝敗って決まるんじゃないか、って思っていました。

特に、日本人選手同士のハイレベルな試合には
そういう感覚があるんじゃないか、って思っていました。

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Kami-Robo
カミロボプロレスの勝敗

アドリブのセッションのように予定調和とハプニングを楽しみ、
互いの力量を推し量るかのような攻防が続き、
やがて疲労やダメージが蓄積された頃に
何か決定的に感性が動く瞬間が訪れて勝敗が決まる…

カミロボプロレスの勝敗の決まり方が、まさにそういった感覚でした。

「今日は地方巡業の日」とか、
「今日はビッグマッチの前哨戦」とか空想しながら
その日の対戦カードを決めて、
第1試合から見切り発車で試合を始めてみる。

試合の結末を決めずに3分とか5分とか試合を構築していくと
徐々に試合のテーマとか、両者の力量の違いなんかが見えてくる。

なんとなく思い描いた通りの内容で終わる事も多いけど、
試合中に偶然のハプニングが起きたりして、
試合は僕が想定した方向とは違ったエンディングを迎えることもある。

試合をしていると、ごくまれに
これはプロレスの神様が降りてきたんじゃないか、と
思うような瞬間が訪れたりして、そうなってくると僕はもう、
リングサイドで観戦している観客の一人となって
普通に試合に感動したりもする。

今振り返ると、そうやって完成されていった遊びの「型」が、
少学生の頃から続けてきたカミロボプロレスの
一つの到達点だったように思います。

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Kami-Robo
空想は転がる

カミロボ発表後、カミロボプロレス界の「聖なる一回性」が
自分の中で揺らいでいた頃、
これはもしかしたら、カミロボプロレスも実は
事前に勝敗が決まっている「ショー」であって、
僕はたまたま「今」そのことを知ってしまっただけに過ぎないのではないか、
と考えたこともありました。

そう考えると、「一人遊びを発表する」という矛盾を抱えた行為が
自分の中でうまく消化できるように思いました。

不思議な巡り合わせなのだけど、実際のプロレス界の変化が
カミロボ発表後に抱えていた僕のモヤモヤを
解消するヒントを与えてくれるように感じていました。

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